
2004年3月12日 |
■ 原 最近、日本というのをけっこうはっきり意識しているのですが、それは、月並みな日本伝統文化の形態的なアイコンを用いて何かを作るとかでは全くなくて、未知なるものに感覚を開いていくような、その繊細さが非常に豊かだということに、気がつき始めています。そういうものがある種今日であればあるほど、手つかずの鉱脈として眠っているということに気がつき始めたので、その辺を掘り下げ始めています。まさに、大森先生が言われる世界と、感覚研究の先端はつながっていて、繊細なものに価値を見いだそうという、均質化から人間的なリズムの復権というようなムーブメントも、全部同じ方向を向いていると思うのです。 |
■ 大森 「病草子」という絵巻物があるのですが、あるお殿様が病気で寝ている。その枕元に死に神が寄りつかないように桃の実が置いてあるのです。桃はもちろん魔よけです。『古事記』でも、イザナギが、黄泉の国から逃げていく時に桃の実を投げて逃げたという、桃の持つ非常に霊的な効用を信じていたので、ついこの間まで病人の枕元に桃の実を置いていたのです。だから、本当に効能があるかどうかは分からないけれども、もう一ぺん追体験で置いてみたらどうかと思います。まだまだ挙げていけば、いろいろな枕辺の小物があると思うのです。 |
■ 山田 江戸時代の日本でも、定時法のほうが便利な分野があって使い分けていたのだと思うのです。当時でいえば暦や天文学で、幕府暦局の学者たちは定時法的な時間で計算しているのです。けれども、人が普通に暮らす上では不定時法の方が自然だったから、時計もそれに合わせて二挺テンプ式にしてしまったのでしょう。何を優先するかですよね。江戸の人たちは多分、自分たちの暮らしのリズムを優先したのだと思うのです。 |
■ 高田 人間の目で見る、耳で聞くという感覚だけではなくて、―これを五感というわけですが―第六感まで含めて働かせることで世界とつきあっていくという方法。かつての日本の人々の生き方の中にはそういうことがあったのではないか。 世の中にあふれている情報にキャッチアップして新しい技術や知識を手に入れることも大事ですが、同時に我々自身の体が、心に訴えかけてくる声を聞くようなチャンネルを活性化することが大事なのではないか。昼元気に働いて、夜になって眠たいなと。この眠たいなというのもなかなか分かりにくくなっているのかもしれません。 それを知るためには、何か自分の体の声を聞くようなきっかけになる媒介物が要る。起きているときから眠りに入るそのモードチェンジのきっかけですね。あるいは、体と心をその状態に導いていく一つのきっかけとして、眠り小物というものがあるのではないかと思います。 |